これからの時代、○○○ことが仕事
考えるのはその後で。なんなら「思考」は外注できる時代かも?
映画『Michael/マイケル』を観に行った。体感が呼び覚まされる、心も身体も躍動する良き映画だった。
そういえばこんなにデジタルなものが自分の世界に入り込む前は、もっともっと世界を “体感” していたことを思い出した。
近年、こんな感じになっているのは私だけではないでしょう。
脳内に直接、動画や文章や音声を次から次へと流し込む。脳と視神経など限られた神経回路(脳そのものも神経の塊)だけに電流を流し込むような。
インプットするタイミングだけでなく、大量にデータを流し込んだ脳内では、あれこれと思考がグルグルと巡っては、そのつどリソースを消耗していく。
他にも身体中に神経は無数に張り巡らされ、使われず退屈しているのに、ほんのわずかな回線だけがショートしそうなぐらい酷使され続ける。
というか、ショートしてしまいダウンしてしまった人たちをどれほど見てきたことか。
その点、映画『Michael/マイケル』は
⚫︎声
⚫︎動き
⚫︎視線
そこから伝わってくるものが膨大に感じられた。ときにダイナミックに、ときに繊細に。急にボールが目の前に飛んできて、とっさに身体が反応してそのボールをキャッチしてしまったかのごとく。身体が反応する、身体を感じる映画だった。
とまぁ、あれこれと感想はありますが、今回記事として書きたいことは少し別のところ。
もしかしたら、少し辛口といいますか、偏った意見かも知れない。かと言って別に、
こうすべきだ!
と主張するつもりもなく、ただただこう思ったということを書いていきます。
ともすればこれは、価値観の押し付けになってしまう可能性もあるのでは?という自覚があります。
さらには、世の中のネガティブな部分にも少し触れます。
それでも読みたいという方のみ読み進めてくださいませ。
以降、登録者さん(無料含む)のみ読めます。




ジャミさん、わかる。
みんな、どこかしら潜在的にある感情なのかもしれないなぁ、と思って読みました。
それにしても、ジャミさん!食べ物の画像作るの上手すぎやろー✨✨😆
ジャミさん、本日もとても興味深く読ませていただきました。
私たち人間は「感じる」ことを言葉にできる唯一の生命体(宇宙人は除く)
私も感性の人でありたいと、強く思いました!
いつもステキな記事をありがとうございます😊